会社案内
私達は品質管理に万全を期します。
私達は輸送サービスに万全を期します。
私達は良質の生コンクリートを迅速、安全に供給するよう常に前進しています。
商号 |
株式会社 多摩 |
住所 |
【本社・川崎工場】 神奈川県川崎市高津区久地二丁目6番10号 【本社】 TEL:044-811-7734 / FAX:044-811-3676 【川崎工場】 TEL:044-833-7581~3 / FAX:044-850-1192
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設立 |
昭和61年5月
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事業承継 |
昭和62年1月 |
資本金 |
5,000万円 |
従業員数
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約25名 コンクリート主任技士 5名、コンクリート技士 10名 ※2024年5月現在
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代表者
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代表取締役 関 大行
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事業内容 |
生コンクリート製造・販売
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年間出荷量 | 150千㎥(23年度実績) |
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年商 | 2,771百万円(23年度実績) |
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株主 | 太平洋セメント株式会社 |
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決算期 |
3月 |
沿革
昭和36年3月 |
多摩生コンクリート有限会社設立 |
昭和36年5月 |
等々力工場創業 |
昭和40年11月 |
多摩生コンクリート工業株式会社設立 |
昭和44年7月 |
成田工場操業 |
昭和47年1月 |
等々力工場を停止し久地へ移転、川崎工場操業 |
昭和57年4月 |
筑波工場操業 |
昭和62年1月 |
株式会社多摩に事業譲渡(川崎、成田、筑波) |
平成25年7月 | 筑波工場閉鎖 |
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令和6年1月 |
成田工場閉鎖 |
各工場の沿革
旧等々力工場
昭和36年5月29日城南地区唯一の小型アジテータトラック使用の生コンクリート工場として発足。
東京都西南地区の世田谷、渋谷、目黒、大田の各区並びに川崎市一帯と横浜市北部を商圏として稼働した。
昭和38年1月プラントミキサ2,000ℓ強制攪拌式に能力増強、大型工場としたが、昭和46年12月30日等々力緑地整備計画との関係から川崎市高津区久地2丁目6番10号へ移転することとなり操業中止、撤去した。
川崎工場
等々力工場の代替工場として10年強培った経験と技術を基にプラントミキサ4,000ℓの大型工場を現在地に昭和46年8月着工。
翌47年1月に完成、操業を開始した。
昭和57年12月、2号プラントミキサ3,000ℓ増設操業。
平成4年4月、1号プラントミキサを3,000ℓに改造、2基並列稼働。
時間あたり360㎥を可能とした。
平成22年2月に1号プラントを全面改装、ミキサを3,300ℓに変更。
平成28年5月に2号プラントを全面改装、ミキサを3,300ℓに変更。
成田工場
新東京国際空港建設計画発表と同時に成田地区進出を計画、富里市七栄の地に工場建設を決定、昭和44年7月に完成。
操業を開始した。
新空港建設工事に協力貢献した。
また、空港建設最盛期には、新空港敷地内に地崎組・大本組・熊谷組共同企業体と提携し、大平洋機工製二軸強制式2,500ℓプラントミキサを設置、誘導路、駐機場等の舗装用コンクリートを製造した。
平成5年5月に3,000ℓに変更。
(令和5年 閉鎖)
筑波工場
谷和原村(現つくばみらい市)の地に昭和54年7月着工、翌55年5月に完成検査完了したが、諸般の事情から操業開始は昭和57年4月となった。
筑波研究学園都市に隣接した交通至便の地に位置し、国際科学技術博覧会諸工事に協力した。
当工場は、生コンクリート業界の厳しい経営環境を乗り切るためつくば秩父生コン株式会社と集約化、平成12年5月31日をもって谷和原村における操業を停止した。
平成12年6月1日新たな体制の下つくば市大白硲347番地1にて旧2工場の事業を継承し操業を開始した。
(平成25年 閉鎖)